今回は小説「風の歌を聴け」の紹介です。
言わずと知れた、
村上春樹の長編デビュー作です。
はじめに
学生時代から社会人なりたての頃、
村上春樹の小説をよく読んでいました。
最近は、村上春樹含め、
小説自体読む機会が減っていたのですが、
先日、映画「ドライブ・マイ・カー」を、
鑑賞した際に、
「なんとも村上春樹っぽいな・・・」
(もちろんいい意味ですし、
映画自体とてもおもしろかったですよ)
と思い、
村上春樹の小説のことを書こうと思いました。
2010年くらいまでの作品は、
ほぼ読んでいますが、
どの作品のことを書こうかと考えたときに、
一番印象深い作品が、
このデビュー作でもある「風の歌を聴け」です。
ちなみに、本を読んで、
「すっきりしたい」「感動したい」
といった目的を持った方には、
この本は、おすすめしません。
読んだ後に、ぼんやりしたり、
もやもやしたりするのが、
嫌いではない方には、
おすすめします。
あらすじ
あらすじは以下の通り。
絶版になったままのデレク・ハートフィールドの最初の一冊を僕が手に入れたのは中学3年生の夏休みであった。以来、僕は文章についての多くをハートフィールドに学んだ。そしてじっと口を閉ざし、20代最後の年を迎えた。
引用ーWikipedia(風の歌を聴け)ー
東京の大学生だった1970年の夏、僕は港のある街に帰省し、一夏中かけて「ジェイズ・バー」で友人の「鼠」と取り憑かれたようにビールを飲み干した。
僕は、バーの洗面所に倒れていた女性を介抱し、家まで送った。しばらくしてたまたま入ったレコード屋で、店員の彼女に再会する。一方、鼠はある女性のことで悩んでいる様子だが、僕に相談しようとはしない。
彼女と僕は港の近くにあるレストランで食事をし、夕暮れの中を倉庫街に沿って歩いた。アパートについたとき、彼女は中絶したばかりであることを僕に告げた。
冬に街に帰ったとき、彼女はレコード屋を辞め、アパートも引き払っていた。
現在の僕は結婚し、東京で暮らしている。鼠はまだ小説を書き続けている。毎年クリスマスに彼の小説のコピーが僕のもとに送られる。
主人公は東京の学生です。
夏休みに帰省した主人公が、
だらだらと友人とビールを飲み、
たまに女の子と遊んだりします。
主人公は本が好きで、派手さはなく、
斜に構えたような性格の人物です。
そのおかげで、女の子が泥酔していたり、
交通事故を起こしたりといった、
小さなエピソードはありますが、
全体を通して、
独特な表現で淡々と描かれています。
村上春樹の他の作品を読むと、
登場人物・全体の雰囲気ともに、
この作品と通ずるものも多く、
この作品が原点なんだろうな・・・
と感じます。
率直な感想
個人的には、全体を通して、
非常に乾いたような、
寂しい雰囲気を感じます。
あらすじにも書きましたが、
海、女性、お酒等が頻繁に登場はしつつも、
主人公が大きく心を動かされる描写は少なく、
そのどれもに鮮やかな印象は持ちません。
また、個々の会話や説明で使用される表現は、
村上春樹特有の独特さを持っています。
この派手ではない描写と独特な表現が、
登場人物、言葉、エピソードを、
いい意味でぼんやりとさせ、
かつ少しの違和感を生み出しており、
全体を通し、絶妙に幻想的で魅力的に、
感じさせているのかなと思ったりします。
娯楽?芸術?
村上春樹の作品を読んで、よく考えるのが、
「娯楽作品」か「芸術作品」ということです。
小説、映画、音楽、絵画等は大きく分けて、
「娯楽作品」(エンターテイメント)と、
「芸術作品」(アート)の2種類があります。
(小説の場合、「純文学」と「大衆文学」)
「娯楽作品」と「芸術作品」の違いを、
いくつかの情報をもとに比較すると、
以下のようになるでしょうか。
(線引きはとてもあいまいですし、
異論・反論あると思いますが・・・)
「娯楽作品」の特徴 | 「芸術作品」の特徴 |
---|---|
流行に左右されやすく、一過的に消費される | 流行に左右されにくく、時代を超えて普遍的に評価される |
論争が起きにくい | 論争が起きやすい |
受動的に楽しめ、ストレスを感じない | 見た人が能動的に考える必要があり、負荷がかかる |
現状を楽しむもの | 現状を乗り越えるもの、変化を目指すもの |
「娯楽作品」は、各時代の流行に敏感で、
シンプルに何も考えず消費し、
楽しめるものです。
見た人は誰でも同じような反応をし、
ストレスの発散などにちょうどいいでしょう。
多くの量産されるドラマなどが「娯楽」で、
見てる間は笑ったり楽しんだりできるが、
少し時間が経つと、
もう内容を忘れていたりします。
(「娯楽作品」の中には、時代を経て、
「芸術作品」として評価されるものも、
あります)
それに対して「芸術作品」は、
流行に左右されず、
どの時代でも普遍的に評価されます。
作者は現状の変化や目的を目指して、
作品を作成することが多く、
見た人も、
作品の意味や意図を考えるよう必要があるため、
ただ単純に楽しむだけのものではありません。
この「風の歌を聴け」は、
「芸術作品」と「娯楽作品」、
どちらなのかと考えます。
ストーリー全体的に淡々としており、
正直、この作品が訴えたいことは何か、
何度読んでもわかりません。
(そもそもそんなものないのかもしれませんが)
誰もが「爽快」や「感動」になる、
「娯楽作品」とは異なり、
読後の感想は、読者によって、
大きく異なると思われます。
また、ところどころ挿入される、
一見無関係なように見える、
エピソードや会話が散見され、
これも読者によって、
解釈が変わるものだと思います。
このあたりの要素は、私には、
「芸術作品」に近いもののように感じます。
逆に、
友人の鼠やレコード屋の女の子をはじめとした、
登場人物の行動や喜怒哀楽は、
絶妙に次の展開が気になるように描かれており、
シンプルに楽しめる作品でもあります。
また独特の例えや表現も、
読んでいると微妙なとっかかりがあり、
個々の文章だけを読んだだけでも、
おもしろいなと思わせてくれます。
このあたりは読者が深く考えずとも楽しめる、
「娯楽作品」としての要素を、
持ち合わせているとも感じます。
この作品は、
「芸術作品」と「娯楽作品」の、
ちょうどどちらの要素も、バランスよく、
持っている作品なのかなと思います。
もし仮に「芸術」に振り切っていると、
多くの読者にとって負荷が高くなりすぎ、
シンプルなおもしろさが、
損なわれてしまう可能性があります。
また「娯楽」に振り切ってしまうと、
一時的なストレス発散にしかならず、
読んだ後も印象に残らなければ、
時代の経過とともに、
魅力も色褪せてしまっていたでしょう。
しかし、この作品は1979年に発行してから、
40年以上経過した今でもなお魅力的であり、
私が初めて読んだのも2000年以降です。
この作品をはじめ、村上春樹の作品は、
「芸術」と「娯楽」、
どちらの要素も持ち合わせており、
このバランス感覚が、
絶妙だと個人的には感じます。
おわりに
少々抽象的な話になってしまいましたが、
実際の雰囲気は、
本を読んでもらうのが一番なので、
自分の感覚で確かめたいという方は、
ぜひ読んでみてください。
よくよく考えてみたら、
昔から私が好きなコンテンツは、
この「芸術」的な要素と「娯楽」的な要素が、
絶妙に合わさっているものだな、
と思いました。
難解すぎず、わかりやすすぎず。
例えば、
私が映画にはまったきっかけの作品である、
「バッファロー’66」も同様です。
この作品は、メインのストーリーは非現実的、
ヒロインの挙動は不思議、
主人公はダサいはずだが、かっこいい、
映像や音楽はシンプルにかっこいい・・・
退屈はしない「娯楽」的な要素がありながら、
理解しがたい「芸術」(なのかなんなのか)的な
要素が満載の映画で、どはまりしました。
![画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: buffalo66.jpg](https://sevenmaru.com/wp-content/uploads/2021/10/buffalo66.jpg)
見ている瞬間は引き込まれ、
見終わった後も記憶に残り続ける。
また何年後に見ても魅力が衰えず、
新鮮さを感じる。
このような作品が好きな身としては、
自分のブログも、どちらの要素も兼ね備えた、
魅力的なコンテンツにできたらいいなと、
思ったりします。
今回の記事は以上となります。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
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